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英語で一発逆転!田舎者でも外資系金融で働けたブログ

外資系金融で働きたい人、外資系金融に転職したい人、外資系金融に憧れている人、そんな人のために情報発信をするブログです。その他、英語に関することや雑記などあれこれ書いています。

「できなかった」と「やらなかった」の間には大きな意味の隔たりがある

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近況報告といってはなんだが、今、中国語を本気で勉強している。

今私は外資系企業で働くレベル以上の英語は問題なく使えるので、中国語を話せるようになれば、いよいよ”トリリンガルとなれる。

マイナーな言語ではなく、英語と中国語(+母国語である日本語)のトリリンガルだ。

この2言語を自在に操れるようになるメリットは非常に大きいと個人的に期待している。

コミュニケーションできる人の数が圧倒的に増え(全世界の人口のほとんどをカバーできるのではないか?)、さらに自分の可能性が広がるからだ。

まだまだ中国語は初心者レベルであるとはいえ、日々少しづつ語学力が伸びていく自分を見るのはとてもモチベーションが上がる。

「インプットして、アウトプットする」

英語を一から話せるようになったノウハウを、もう一度自分自身で試すいい機会だ。

このブログでも上達の過程を記録していきたいと思う。

 

 

発音が難しい中国語

中国語を学び始めて気付いたことは、日本人が一から中国語を学ぶということは、欧米人が中国語を一から中国語を学ぶよりもはるかに有利だ。

というのも、日本語の漢字は中国語から来ており、日本語と中国語の間でその漢字が持つ意味にさほど大きな違いはない。

幼少のころから漢字に慣れ親しんできた日本人にとって、中国語のハードルはそこまで高くないと感じる。

ただ、発音(ピンイン)に関してはまだまだ慣れるまで時間がかかりそうだ。

日本語の「橋」「端」「箸」のように、同じ言葉でも発音が違えば意味が違うように、中国語においてもちょっとした発音の違いが意思の疎通を阻んでしまう。

これについては、日本語のカタカナで発音を学ぶのではなく(例:ウォー、ニー、シー)、英語の記述(例:wo, ni, shi)で発音を学ぶほうが正しい発音を学べることに気が付いた。

英語を先に学んでおくと、他の言語を学ぶ上においても何らかのメリットが もたらされるのだ。

私も中国語を勉強するまではこのことに気が付かなかったことだ。

これは今英語を勉強している人にとっても「新しい気付き」になると思うので是非覚えておいて欲しい。

 

 

大学生時代に挑戦していた中国語

15年以上も昔の話になるが、実は私は大学一回生の時に一般教養の中の第二外国語の授業として中国語は専攻していた。

勉強した期間は一年。

専攻した理由は、

「これから中国の経済がどんどん伸びてきて、日本人も中国語が話せないと”ヤバい”から」

という単純な理由だ。

今思えばその時からきちんと勉強しておけば今苦労することもなかったのだが、当時の私は毎日遊びほうけているような典型的な「ダメ大学生」。

勉強はテスト前だけ集中して頑張る、単位さえ取れれば後は勉強しない、という不真面目の塊のような生徒だった。

そのおかげで、確かに単位はしっかり取れていたのだが、肝心の授業の内容や覚えていたこと(覚えていたと錯覚していた!?)は綺麗さっぱり頭の中から消えている。

これでは何のために高い授業料を払って大学で勉強をしていたのか意味がわからない。

今さら後悔しても遅いのだが、当時きちんと勉強しておけば今もう少し楽に勉強ができていたのかもしれない。

 

 

まとめ

もしあなたが今、中国語もしくは英語を勉強してみようと迷っているのであれば、今のうちからコツコツ勉強することを迷わずおススメする。

もしかすると

「でも、あともう少し待てばすごい翻訳アプリとかが出てきて、勉強する意味がないのでは?」

「一生懸命勉強したって、結局翻訳アプリがあれば大丈夫さ!」

そんな考えが頭の中に浮かんでくるだろう。

だが、行動しないことには何も始まらない。

いつリリースされるか何の保証もない「すごい翻訳アプリ」を理由に何も行動を起こさない、そんな意思決定を下したあなたは、

「自分に言い訳をしている」

ということに気付かないといけない。

例えば、その「すごい翻訳アプリ」が3年後にリリースされるとしたら、あなたはその3年間何も語学を学ぼうとしないのか?

「無駄な努力はしない」という合理的な選択は一見賢明な判断のように思えるが、3年後に「3年間努力しなかった自分」が残ることは忘れてはいけない。

努力というのは、一度惜しんでしまうと次に実行することが難しくなってしまうものだ。

「できなかった」と「やらなかった」の間には大きな意味の隔たりがある。

「できなかった」というのは何らかの物理的な障害や環境によって行動できなかったという意味になるが、「やらなかった」というのは自らの意思と決断によって行動しなかったという意味になる。

「やらなかった」選択をした人間には常に後悔が残るようになっており、それ相応の結果が待っているものだ。

何の保証もない先を見て行動をしないのではなく、今を一生懸命に努力して生きていく。

それをコツコツ実行できる人間が一番成功に近い。

そんな風に、ふと思った。